織田信長の焼き討ちについてなんですが、なぜ信長はいろんなお寺?を焼いたのですか...織田信長の焼き討ちについてなんですが、なぜ信長はいろんなお寺?を焼いたのですか?少し簡単に知ってる方教えて下さい!!
あと、焼いたのは比叡山延暦寺、湖東三山以外ありますか? > なぜ信長はいろんなお寺?を焼いたのですか?
そーですねー、自分に敵対する勢力は、武士であろうと僧侶であろうと駆逐していったということでしょうかね。当時の僧侶は現在の僧侶とは全く違います。

・僧侶が武装化し始めたのは 西暦1000年前後・武士と呼ばれる戦闘集団が誕生したのは 西暦1000年後

と言われていますので、両勢力とも大体同時に武装化していったと思われます。織田信長の時代では、石山本願寺が対抗勢力としてありますが、

・番衆 石山本願寺の最精鋭の武装化集団・根来衆、雑賀衆 傭兵鉄砲部隊

があり、特に石山合戦初期は、織田信長をはるかにしのぐ鉄砲を保有しておりました。織田信長にとって恐怖そのもので、実際に戦った相手としては、

石山本願寺 11年間の戦闘で最長記録
がもっとも手こずり、自身も負傷し、最強の好敵手と言えるかと思います。当時の石山本願寺は、戦国大名をはるかにしのぐ、武装化組織といってよいかと思います。

> あと、焼いたのは比叡山延暦寺、湖東三山以外ありますか? 
数限りなくあります。摂津国、河内国、和泉国には石山本願寺を支える浄土真宗系の寺内町が沢山あります。
富田林寺内町%E5%AF%8C%E7%94%B0%E6%9E%97%E5%AF%BA%E5%86%85%E7%94%BA

のように、早くから織田信長に帰服し、織田信長も早くから降伏してきた寺内町は、朱印状を送り手厚く保護したようです。織田信長からも積極的に懐柔していったようです。が、石山本願寺に味方した寺内町はことごとく弾圧をうけました。摂津国にあった、
神呪寺%E7%A5%9E%E5%91%AA%E5%AF%BA

のページに「戦国時代には兵火により、荒廃した。」とあるのは、織田信長による焼き討ちです。石山本願寺に味方した浄土真宗系の寺はことごとく、迫害をうけました。10とか20ではありません、無数にありますよ。
では、では。